12.全盛期のダウンタウン松本だけが到達したデュアルコアのボケとツッコミ



  同じようなシーンであっても、そのアクションに対するリアクション(の種類)が増えれば、おおむね面白さも増す。
  という、私の提唱するギミック理論について説明してきた。

  そこで私は、今回。是非とも全盛期のダウンタウン松本人志が、いかにすごかったギミック理論を用いて説明していきたい。

  こんなことを言うと「お笑いもギミック理論で評価できるのか」となりそうだが、結論から言うと、
  お笑いの面白さをギミック理論に当てはめて説明するのは困難である。

  これは「笑いは緊張と緩和」といわれるように、前フリというある種共通の認識が、オチで一斉に裏切られることが基本であり、
  笑いの発生においては、一体感のような要素が強く。反応の多様さは、あまり意味を為さないからである。

  だが、全盛期の松本人志は、お笑いでは基本不可能とされる反応の多様さによるブーストを、
  それもリアルタイムに成立させていた唯一の芸人なのである。

  そして、それこそが本人すら気付いていない。全盛期と今の松っちゃんの最大の違いなのだ。

  では、具体的に説明しよう。
  これは、私が個人的に好きな、昔のダウンタウンDXのワンシーンである。


  (ゲストの周富徳が、トークの中で「黒柳徹子」と敬称をつけずに連呼しまくる)

  浜田:ナハハハ、周にかかったら黒柳徹子も呼び捨てやで
  松本:っていうかさ……やってんでしょ


  非常に短くて申し訳ないのだが、ここに全盛期の松本人志のすごさが詰まっているのである。
  無粋を承知で、この面白さについて説明していきたい。

  まず、普通の面白いボケとめちゃくちゃ面白いボケの間にある差とはなんだろうか? 
  抽象的な話のようだが、この疑問に当の松っちゃん自身が、平成の芸人のバイブル『遺書』の中で解説されている。

  それは『発想力』なのである。

  上の例でいうと、まず。周富徳が黒柳徹子を呼び捨てにするのは、いうまでもなく
  『周富徳が中国出身の料理人で、日本語の細かい敬称使いが分からないから』に他ならない。

  だが、それを『実は周富徳と黒柳徹子が付き合ってるから』と扱ったのである。これこそが、まさに『発想力』なのだ。

  この『発想』のぶっ飛び具合と、それでいて荒唐無稽にならず
  ギリギリあり得そうという『バランス』感覚。だからこそ、全盛期の松っちゃんはすごい!

  というわけなのだが、私は、『発想力』だけでは全盛期の松っちゃんのすごさの説明には不十分だと思っている。

  それは何故かというと、この『発想』自体には、今の松っちゃんでも、行き着くことだけなら可能だからである。
  想像してみてほしい。

  (ゲストの周富徳が、トークの中で「黒柳徹子」と敬称をつけずに連呼しまくる)

  浜田:ナハハハ、周にかかったら黒柳徹子も呼び捨てやで
  松本:なんや、付き合うてんのか!

  これなら、今の松っちゃんでも十分あり得る展開であるし、『発想』自体も同じものである。
  だが、私は「っていうかさ……やってんでしょ」では、おそらく爆笑するが
  「付き合うてんのか!」なら、クスッとかハハハ程度の笑いになるだろう。

  この部分にこそ、今の松っちゃんと全盛期の松っちゃんの違いであり、今においても松本人志を超える芸人が現れない理由でもあるのだ。

  一体何が違うのか? というと、それは「素の松っちゃん」が言っているかどうかという違いである。

  たしかに、どちらも発言しているのは松ちゃんであるが

  「付き合うてんのか!」の松っちゃんは、完全に松本人志本人の言であるのに対し、
  「っていうかさ……やってんでしょ」の松っちゃんは仮面というか、少し演技が入っている。

  まるでミステリードラマに出てくる「感の鋭い女」が「私分かっちゃたんですけど」とでも言うようなテンションで
  「周富徳が黒柳徹子を呼び捨てにするのは、肉体関係があるから」という、すっとんきょなことを言っているのである。

  これにより、たとえ発想自体が同じだったとしても、爆発力という点に関して、ものすごく大きな差となるのだ。

  「なんだ、つまり言い方ね」となってしまうかもしれないが、この言い方が2つの意味ですごい事なのである。


  @大喜利的な発想力と、それを本気で思い込んでるような演技を瞬時に両立する難しさ

  かなり大雑把な分け方をしてしまうと、フリに対して「高い発想力のボケ」を出すのには、基本的にマウント。
  ある種の優位的な視点から相手を俯瞰し、純粋に才能でもって「イジる」必要がある。

  一方で、ここでの演技というのは間違った解釈を本気で思い込んだように振舞い、道化のようにバカのふりをするという
  『イジられる側』の行為をする必要があるのだ。

  この2つは完全に矛盾しており、全く別の要素によって構成された行為である。
  ボケを思いつく前に、演技という下地を作っておく必要があり、
  半ば未来予知でもしているような「頭の回転」どころではない才能が求められるのだ。

  これは、まさにコア2ディオのCPUと同じ、というかそれ以上のことが行われている。
  頭の中では発想力豊かなボケを考えつつ、
  外ではボケと大きなギャップ生じるよな演技や空気づくりを並行してやり遂げなければならないのである。
  (ちなみに、この逆のパターンもある)

  そして、この異常な並列処理のボケを年間通して毎週連発できたのが、全盛期の松本人志だけなのである。


  A二重のギャップが生む奇跡の映像

  従来笑いというのは「緊張と緩和」「フリとオチ」という1つのギャップの中で競われてきた。

  だが「高い発想力のボケ」かつ「それにギャップを持たせる演技・テンション」が合わさった時には
  「周富徳が黒柳徹子を呼び捨てにする」という前フリと、同時に「私分かっちゃたんだけど! キラーン!」という緊張を発生させ
  2つのフリと緊張を1ボケで解消するという、高度なレベルの笑いというものが確かに存在するのである。

  これは1つのアクションに複数のリアクションという、ギミック理論の逆パターンによって成立する珍しい事例といえよう。
  (ちなみに脚本や演出で2アクションを並行して描き1リアクションで回収するという手法は、ギミック理論的にはお勧めしない)


  「フリと緊張を2つ同時に解消しているから、
  全盛期の松ちゃんのボケは単純計算で2倍の面白さを秘めているのか!」と思っているかもしれないが
  現実にはそれどころではない『ある効果』が発生する。

  それが「ボケを聞いた瞬間」頭の中に『存在しないハズの映像が流れる』という現象である。

  これは私だけではなく。当時を知るお笑いマニア等が口を揃えて
  「全盛期の松本人志のボケは頭の中に映像が流れる」と証言しているのだ。

  再びダウンタウンDXのワンシーンを思い出してほしい。


   (ゲストの周富徳が、トークの中で「黒柳徹子」と敬称をつけずに連呼しまくる)

  浜田:ナハハハ、周にかかったら黒柳徹子も呼び捨てやで
  松本:っていうかさ……やってんでしょ

  この時。爆笑する直前に何故か

  
「ラブホテルから出てくる周富徳と黒柳徹子の写真」や
  

  「クラブで酒を片手に黒柳徹子の肩を抱く周富徳」

  

  
こういった本来存在するハズのない映像が頭に流れるのである。


  何故こういった現象が起こるのかというと、私は「心が無意識に取っている防御反応」を利用しているからだと思っている。

  分かりやすいように、別の例で説明しよう。


  (ガキの使いの企画「松本人志セコセコ裁判」において、ケチエピソードを紹介するために証人として現れたジャリズム山下。
   そして、エピソード披露後の山下に悪態をつく被告人の松本)

  松本:だから、何やねん、お前は!?
  山下:証言台の証人ですよ。
  松本:お前は鼻でかい上に、鼻の穴が小さいねん!
  山下:関係ないでしょ!
  松本日本鼻百選に選ばれろ、お前は!!
  山下:何なんですか、それは!?


  我々は転びそうになった場合など、体が本能的に受け身を取ってくれる。
  しかし、これは体だけの現象ではなく。心にも当然そういった機能は備わっている。

  上の例でいえば、自分に関係がないとはいえ
  松ちゃんが「怒って悪態をついている」という情報を受ければ、脳の1〜2%は無意識に防御反応を示すだろう。

  そこへ「日本鼻百選」というシュールかつ、選ばれたとしても別に困らない。微妙に優しい発想力豊かなボケがくると
  無意識に防御反応をとっていた部分が「見えない前フリ」となって作用し、安心から

  
「日本鼻百選」という謎の催しが頭に流れるという訳である。
  


  このように笑いのセンスだけでなく。脳の無意識の部分まで関係する以上。
  ボケを聞いた時。映像が流れない人も当然相当数存在する。

  松ちゃんは、よく「笑いのカリスマ」と言われるが、それは関係者のヨイショだけではない。
  流れる人間からすると、松ちゃんは「圧倒的な天才」「笑いの神」となり
  流れない人間には「評価されすぎ」「いじめ的で嫌い」となってしまう。
  そして、それが流れる人間の優越感を煽るのである。

  だがこういった現象は、全盛期に見せた脳の幻がそうさせたのだ。

  これまでも単純な大喜利的な発想力なら、松ちゃんに比肩した芸人はいただろうし、
  ボケを生かすフリの作り方の天才もいただろう。
  ただ、その両方を圧倒的なレベルと速度で同時に成立させ、
  10年単位で維持し、笑いの面白さで脳裏に幻覚を見せたのは、全盛期の松本人志だけなのである。