・世界一シンプルな思考の止め方



  古今より、ある者は「つらい現世から逃れるため」
  ある者は「世界をよりよい場所に変えるため」また、ある者は「本当の自分に出会うため」

  自我を捨て思考を止めることで、悟りを開きたいと願う人間は、過去から現在に至るまで数多く存在する。
  しかしながら、悟りはおろか『思考を止めること』さえ、多くの人からは、ほとんど不可能だとされている。

  それは一体何故か? これには、明確な理由が3つ存在する。

  その一つ目が「禁孝の行動化」である。

  「自我を捨て思考を止める」←これが「行動」と「状態」のどちらに分類した場合。

  当然「何もしていない」状態に定義されるはずである。

  だが実際に、自我を捨て思考を止めると、明らかに「状態」ではなく。

  そこには、息でも止めたような何かを待ちわびる自我や意識が存在し、何度やっても「何もしない」の偽物でしかない「行動」にしかならないのである。

  いわゆる「何もしないをしている」とか「何もしない、考えないっていうの自体。すでに考えちゃってるじゃん」というやつで
  これが、第一の理由「禁孝の行動化」である。


  そして、第二の障害となるのが「その辺のババア問題」だ。

  「何もしない」状態を目指しているのに、何度も偽物の「何もしない」ごっこをやらされていると、誰しもうんざりして、諦めるか、次のような結論に行き着く。

  「無」

  このような思考を止めるといった行為に興味のある人間には、余計な自我などを捨て去ることで、到達したい高い「理想」や「志」が存在する。
  だが、そんな未来や、そう思うに至った過去も全て忘れ去り
  「ただ本当に無になるしかない」と瞑想を始めるのだ。

  もちろん。それで、悟りなり、それに近い感覚のひとつも得られれば、何の問題もないのだが、そんなことは、まず起こらない。
  すると、時間の経過と共に、ある疑問が湧いてくる。

  命より大事な高い理想や心構えを捨て去り、藁にもすがる思いは裏切られ続け、何か有用なものが得られることもなく。ただ無為に時間が消費されて続けていく。すると……
  「これって、その辺のババアと何が違うんだ?」という、客観的な事実が目の前に、突きつけられるのである。


  そして、三つ目にして最大の原因が、そもそも「思考を止めた状態」というのが「どんなものなのか、さっぱり分からない」という問題である。

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